今に繋がる過去について<受験〜大学>

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Hola! ふかやんです。

今回は、やりたいことがなんなのかわからなかった僕が、なんかいろんなことやってたらやりたいことが見つかっていった!って話です( ^ω^ )

今回もターニングポイントを抜粋して書いていきます!

大学受験時代

浪人に至るまで

僕は夏のインターハイを最後にサッカー部を引退しました。高校サッカーには冬の選手権があるので(この記事を書いてるまさにその裏で流経大柏が試合を…)、実質途中離脱です。結局、僕は中学の時とあいも変わらず、最後までやりきることが出来ませんでした。

同じタイミングでそこそこの人数の仲間が部活を去りました。受験があるからです。

僕もその一人な訳ですが、当時大学へ行きたかった理由はまだ働くイメージも無いし、高校でサッカーに注ぎ過ぎてしまった反発で遊びたいサッカー以外のことに挑戦してみたかったからです。

決して、強い目標があったわけでもなく、大学の先を見据えていたわけでもありません。この時目先のワクワクでしか心に火を点けられない性格だと気付き、大学に対してもキャンパスに通ってる自分を想像して直感的に選んでいました。笑

そんな時一際僕をワクワクさせたのが国際系の学部でした。サッカーの影響でヨーロッパへの憧れが強く、異文化を知ることに実は興味がありました。大学そのものに交換留学生がいたり、自分が行ったりできる。当時はそれだけで大学に価値を見出していました。

そして実は、僕は3年生になるときに文転を決意しました!なんとなくインテリアが好きだったので建築学部を志望していたけど、大学のパンフを見ていてもワクワクしない。しかも物理で始めて赤点を取るという致命傷具合……。もはやお告げだと思い進路変更を提出しました。

しかし、サッカーしかしてこないでいたらいつの間にか脳筋に。文転なんてしてしまったもんだから、生物1,化学1,物理1,数Ⅱ,数Bやってきた意味なし。日本史を一から学び直し。(単位制のため2年生と一緒に授業)

で、MARCHを目指していた僕はどこにも受からず最大の挫折を味わうこととなりました。

母の顔、合格を掻っ攫っていく友人の顔、先生の顔、じいちゃんの顔、そして親父の顔。いろんな顔が浮かんでは惨めさ、嫉妬、情けなさ、申し訳なさ、悔しさといった負の感情が目まぐるしく駆け回って、自分の人生を放棄したくなりました。

ただ、僕はそういった感情に苛まれるのが昔から嫌いでした。嫌いというか苦手。

僕を知っている人は僕がバカポジティブな人間だと思っているかと思いますが、半分あってて半分違います。ネガティブな感情を長くもしくはたくさん持つとすぐに潰されそうになるから持たないようにしているんです。

だから普段からネガティブに考えちゃう人は実は強い人なんじゃないかなって最近思います。(余談でした。)

そしてこの時、他人の顔ばっか気にしてるなぁって気付きました。自分自身ここからどうしたいの?って考えた時に答えは真っ直ぐ来年の再受験に向かっていました。

行きたい大学に行きたい。という気持ちよりも自分が設定した目標に対して一年という月日をかけて全力投球するという経験が必要だと思ったからです。

浪人中

そして始まった浪人生活。世間的には何者でもない自分がスタートします。

おそらく僕はこの期間に本当に大きく成長したなと思っています。行っても良いかも?っていう大学に変に滑り込まなくてよかったなとさえ思います!(ポジティブ!!)

  1. 守破離
  2. 自己管理能力
  3. 読書するようになった
  4. 世間体とか気にしなくなった

全部書いていると長くなりそうなので守破離についてのみ詳しく書きます。あとはサラッと。

守破離

僕の今に大きな影響を与えているのがこの考えです。あまり聞きなれない方のために現代風に言い換えると、

完コピして、工夫して、最終的にオリジナルになる。

ということです。何か始めようとする時自分流で急にやりがちです。だからと言って言われたことを素直に続けているだけでも成長は見込めません。

僕は浪人を決めた時に宅浪(学校にも塾にも行かないで独学すること)するか、予備校に入るかまず迷っていました。要は「離」を急にしようとしていたのです。

そこでまずはしっかり予備校に行ってカリキュラムをこなすことに徹しました。やっていくうちに絶対これは要らないとか、ここを伸ばす必要があるという自分だけの課題が見えてきて、みんながやっていない参考書を追加したり、逆に決まってる教材を進めないという選択を取るようにしました。そして受験が迫ってきた冬、僕は授業数も減らして最低限だけ取り、予備校、カフェ、自宅でそれぞれの場所でこそ集中できる勉強をしていました。

最終的に僕は、現役時代に雲の上だと思いっていた実質第一志望の立教大学国際経営学科に合格することができ、念願の国際系の学問を学べることとなりました。そして一年という月日をかけて全力投球した目標をクリアし成功体験を得ることができました。

他に成長したことも結局この考えに基づいていて、自分流へと変えていくからこそ、時間やTo doの管理、本を読むより勉強した方がいいのではってところをあえて読んで日本史や英語などへの理解を深める、ビジネス書を読んで効率を意識する。などなど。

そういう方法を取っていると「周りはこうしてるから」とか気にならなくなって、結果的に他人が自分のことをどう思ってるかさほど気にならなくなりました。てか気にしてないんだよなってわかった。笑

ようやく僕は一年遅れて、晴れて大学生となりました。

大学1年生

大学一年目は一言で言うと「あれもこれも自由に!」

※ここからは当時のFacebookを関連づけているので気になるものが万が一あったら詳しく見てみてくださいね!

カナダ留学。プレゼン優勝

僕の入った経営学部は大学内で良くも悪くも一目置かれる学部でした。

ビジネスに関して意識高い勢が多く、課題などを本気で取り組むし、グループ課題を進んでオールとかでやっちゃう。笑 さらに国際経営学科に関しては、マジで英語できるやつばっかりでスゲーを通り越してポカーンでした。

そんな中、学科の必修で夏休みの1ヶ月間カナダへと飛び立ちました!

まさしく!念願の!初海外!!僕の受験はこの為と言っても過言ではなかったので、感動ですね。笑

この留学はそもそも語学留学ではなく、英語でビジネスを学ぼうというカリキュラム。

学科の人たちは4つの都市に分かれ、それぞれ向こうでビジネスを学び、最終的にチームでプレゼンを行います。僕らに1ヶ月間、課された課題は「まだ日本進出していないカナダ企業の日本一号店を作るビジネスプランを提案せよ」というものでした。

ちなみに言っておくと僕は英語がほぼほぼ話せませんTHE受験英語人間。今はまだマシですが、当時なんてもう……。

しかし、持前のリーダーシップ!それと鬼の英文暗記!で見事優勝することができました!

そして帰国後、4つの都市に行っていた学科生が一堂に会し、それぞれの国で優勝した4チームでさらに最優秀を決める戦いをしました。

優勝しました。笑

サッカーや運動会以外のことで努力をして、チームで、やりたいことで成果を得たことが無かったので、嬉しいというか、不思議な高揚感を得たのを今でも覚えています。

そしてスペインへ行くことをより強く持ったのもまさにこの体験からでした。

文化祭でサークル代表。約1600杯の油そばを売り上げる

僕は大学に入って新たな挑戦としてダンスサークルに入ったのと、もう一つサブサークルとして「ラーメン愛好会」に入っていました。

ラーメンオタクって訳では無いんですけと結構好きです。かと言ってそんな人たちが入るサークルかと言ったらそういう訳でもなく、経営学部の先輩が作った経営学部の経営学部による経営学部のためのサークルみたいな感じです。笑(他学部も全然大歓迎でしたが!)

まだ若いサークルでしたが文化祭では油そばを売っていました。ここでも意識高い経営学部力がふんだんに発揮されていて、どういう風にしたらたくさん人がくるか、買ってくれるか、コラボとかどうか、などなどをマジで考えてました。

さらに一年生が文化祭代表になるという無茶振り具合。でも本物のお金が動く文化祭。ビジネス感覚をつけるにはもってこいの環境。いつの間にか挙手してました。笑

これまでの20年間やってみたかったけど我慢してきたことをとにかく爆発させて、やりたいことは全部やる!

そんな一年生でした。

大学2年生

ダンスにのめり込む

ここまで深く話してきませんでしたが、大学で何に一番時間を費やしたかと言われれば確実にダンスです。

一年生の頃はダンスもバイトも学部も季節のイベントも…と色々やってきましたが、二年生からはダンスが楽しくてたまらなくなっていろんなダンスイベントに出まくっていました。その度にできる友達も楽しくて、本当に交友関係が広がりました。

ダンスって基本的に競争するものでは無いので、いかにお客さんに楽しんでもらえるかいかにかっこよくいかに綺麗に踊れるかとの戦いなので、サッカーだけやってきた自分としては全然畑が違くて、アートとか芸術とか縁がないと思っていただけど、実はそっち側の人間なのでは?と思うくらいに表現というものの魅力に取り憑かれました。

GPA0.75暗黒時代

二年生の後期、僕はMAX4であるGPAという評定数値で驚異の0.75を叩き出しました。要はCとD(単位をもらえない)の間。

三年生になった時にゼミの先生に呼び出されました。笑

大学で呼び出しって相当。ダンスやり過ぎ、授業が本格的に英語ばっかりになってきてついていくの必死っていうのがまぁ表向きの理由ではあるのですが、それにプラスして僕は大学で学ぶことそのものに意義を見出せなくなっていました。

卒業することって必要なのか?就職すんのか?起業すんのか?そもそも働きたいのか?

あんなに行きたかった大学だったのに、いい企業に入るための養成機関としか見えなくなっていました。

資格を取る人、二年生からインターン行く人、留学行く人、先輩の就職先をものさしに考えている人。なんでそうするかと言ったら就活の武器にするため。これらをしていた人全てがそういう考えだとは思っていませんし、就活の先に本当にやりたいことがあればいいのだと思います。

しかし、「資格欄を埋めるため、学生生活で残した成果として資料に書いて、いい企業に就職する。」という思考が僕には理解できなかったというか、自分の頭が子供過ぎて「なんで?なんで?」みたいな状態でした。

当時の僕が大学に残る理由はダンスをやり抜くこと。ほぼそれだけになっていたような気がします。

大学3年生

本格的に表現に目覚める|サークルで映像・脚本・振付・主演・DVD制作

ダンスサークルにおける最高学年は3年生。4年生は引退扱いになるため、僕らが後輩を率いて頑張る年になりました。

サークルでは年に一度のサークルライブがあり、会場を探すところから、スタッフさんの手配まで全て自分らでやります。どんな感じだったかはほーーーんとに長いのでリンクから飛んでみてくださいm(__)m笑

とにかくこの時に僕は、自分が企画して生み出したもの、そして自分自身の体でそれを表現すること見た人の感情を揺さぶれた事がすごく嬉しくて、サークルをやめてもそういった活動を続けていこうと決意しました。

そしてやり抜いたサークル

僕にとってダンスサークルには自分だけの意味がありました。それはここまで話してきた通り「最後までやり抜く事」です。

たかがサークルって思うかもしれませんが、逆に言えば簡単に辞められてしまうのがサークルという準拠集団。たかがサークルですが、うちのダンスサークルは合宿先では酒を一滴も飲まず、毎日筋トレをして地獄を見ます。笑
これが年3回あります。ブリッジ2分とか、倒立2分とか余裕でやります。

様々な理由で辞めていく仲間もたくさんいました。そういった中でやり抜けたことは本当に僕の今後の人生において大きな意味を持つことになりました。

人は「自分ってそういう人間だしな。」ってなんの根拠もないはずの過去に囚われて諦めてしまうことよくありますよね。きっと年をとれば取るほどその傾向は強くなります。

僕はこの瞬間、「俺って最後までやりきれない人間だしな。」ってマイナスの思考で別の道へ行こうとする未来の自分を防げる事ができました。

サークルの引退が12月いよいよ就活です。……?

休学

二年生の時に大学の価値を見出せず、就活や就職という言葉に違和感を持ち始めていた僕ですが、結局その答えは何も出ていませんでした。ダンスに全力投球でしたので……。

このまま就活をしても結局相手もこんな人材欲っさないだろうし、自分も本当にここに行きたい!とか何もわかるわけないじゃん!と思い、休学を決意しました。

さらっと言いましたがそりゃ悩みました。すでに一浪してますしね。確定で2年遅れますから。でも2年遅れるという謎の焦りをしっかり噛み砕いてみると、結局浪人の時にも感じていた周りの目でしかありませんでした。

「心配事の9割は人間関係から来ている」『嫌われる勇気』という本に書いてありますがまさにそれですね。

一人だけど独りじゃない|10日間のヒッチハイクへ

まず自分が行ったのが国内におけるヒッチハイクでした。いつかしたかったことの一つとして今しか無いと思いました。この休学中に世界一周したい!というのも実は脳裏にあったのでその練習にもなると思ってやりました。

その一部始終がこちら↓↓↓

一番最後の投稿が要約的なものなんでそれを見てもらえるといいかもしれません。

その中でも特に僕がめちゃくちゃヒッチハイクしてよかったと思えた部分を抜粋するとこんな感じです。

ヒッチハイクするなんてすごい!って思ってくれた人もたくさんいるかもしれません。僕も経験者のブログを見てすごいなと思っていたので、自分でも他の人があまりできないことをやれたなって思っています。

しかし本当にすごいのは、乗せてくださったり泊めてくださった人達です。

僕はこの一週間普段とは違う“非日常”を過ごしていました。そうすると決意した上で、です。
でも、乗せてくれる方々にとってそれは“日常に現れた謎の青年”な訳です。
あなただったら目の前に現れた素性もわからぬ青年を5秒足らずの判断で同じ空間に居座らせてあげようと考えられるでしょうか?

僕は、ある意味そういう乗せてくれる人って「普通じゃない人間」に当てはまるのかな?って思います。だって7割の車は僕を素通りし、2割の車はリアクションしてくれるものの乗せてくれないのですから。残りの1割はマイノリティーなので「普通じゃない部類」に入りますよね。

だからこそ、その人達の話はいつも変わっていて、さまざまで、魅力的で、面白いんです。
尊敬するし、自分もそういう人間でありたいと思うんです。

一人旅はひたすら己との対話と知らない人との対話です。いろんな感情に出会えるし、いろんな人に出会えます。

このヒッチハイクをしてもう3年(2019年1月現在)が経とうとしていますが、かなりのターニングポイントになったと思いますし、 Facebookにこうして一日も欠かさずにログを残せたことは大きな財産になりました。

世界一周未遂。インターンを始める

休学が本格的に始まり、発売したばかりの欅坂46『サイレントマジョリティー』に鼓舞されながら、世界一周に向けたダブルワークがスタートしました。

飲食のバイトを掛け持ちして、働き出しましたが、正直、「しんどい!」「全然楽しくない!」これに尽きる日々でした。

目の前のワクワクがパワーの源である自分にとって世界一周のためにお金を貯める事がまぁできませんでした。そもそも世界一周して何がしたいのか。何か得て帰って来れそう、くらいの意志じゃ何も前に進みませんでした。

このままじゃ行けないと思い、僕は一旦ダブルワークを辞め、インターンを始めてみることにしました。長期のお金が出るインターンです。

7月に面接を受けいつの間にか次の週には働き出していました。笑

ド・スタートアップでしたがこれがとにかく面白くて、ほーんとにいろんなことに挑戦させてもらいましたし、本当に会社か?って感じでした笑

Facebookからポイントを抜粋しますと、

起業したいとか、俳優になりたいとか、大企業の歯車になりたくないとか、散々考えてましたが、もちろんその気持ちが消えたわけでもありませんが、ベンチャーで働いてみてあらゆることが自分のフィルターを通した偏見に過ぎないと思いしらされました。しっかり自分で内部を見つめて、キャリアを考えて行こうと思います。今は就活をしっかりして、企業に勤めようと思ってます。でもその企業で人生を終える気は毛頭ないですし、数年でもいいから海外移住したいという夢も密かに持ち続けてます。

ダブルワークの時に感じていたカーストの”最底辺感”が一変、一気に未来に繋がって、気付けば半年以上どっぷり浸かっていました。旅に関するお仕事が出来たのも本当に良かったです。

大学4年生

就活

あれだけ忌み嫌っていた就活が始まりました。

答えのない戦いに対して、

  1. 自分を見つめ直すいい機会
  2. やるからには全力
  3. 先方に合わせない

ということを意識して取り組みました。

この記事を書きながら就活時代の自己分析を思い出しました。笑

ってことをやっていたら、

2~4月(ベンチャー期)→自分の言葉が定まっておらず、ことごとく玉砕
5~6月(大手企業期)→言葉が定まるものの、大手には刺さるわけもなく玉砕
7~8月(第二ベンチャー期)→言葉が定まって、企業にも刺さって一日内定

みたいな感じで、かなり苦労はしましたが、内定1つで就活を終えました。

この時思ったことは「企業に勤める」以外の選択肢がある人と、それだけの選択肢の人でだいぶ考え方変わるなというか、面接官に前者の選択肢があるか無いかで、全然理解してもらえる幅が違うなと思いました。いつかこの辺記事にしたい!

それから仕事をしてから思うことは、本当に無駄な物差しが多かったなということ。

就活で言えば、内定数、SPI試験通った数、最終面接まで行った数、説明会行った数、セミナー行った数、早期内定。

他人や自分のこれらに一喜一憂するのはほとんど無駄でした。受験も合格した数とか、浪人すること、大学入って休学すること、留学すること、留年すること、GPA低いこと、単位がギリギリなこと。

確かに努力不足とかあるかもしれない。でもあれのせいでこれのせいで未来の自分は……なんてこと全く無いです。上記のほとんどを経験した僕からは言えます。今誰よりも幸せな自信があります。

新卒の就活で人生が決まることなんてほぼ0なんで安心しましょう!

フィリピン留学&放浪

内定先でインターンをしながら僕は残った12単位の授業を取りつつ4年生の最後の後期を過ごしておりました。

そして秋休みにフィリピンに10日間飛び立ちました!

目的は、

・一週間だけでもいいから英語漬けして、学ぶ姿勢を矯正したかった
・本当に英語や他言語を使う環境で生きたいのか
・語学学校に集ういろんな志を持った人たちと話したい
・(ホリエモン祭り)
・発展途上国を肌で感じたい
・ネット社会の力を実践したい

これが僕にとって初の東南アジアでした。セブ島ですが、リゾート地には一切足を運んでおりません!

貧乏旅だったので……。でも目的の全てを達成出来ました!

特に大きかったのは、他言語を使う環境で生きたいという気持ちは本物だったということ自分がやりたい生き方を既に実践して生きている人に直接会って共に生活出来たことです。
詳しくはこちら…

大学卒業!社会人一年目へ

そして無事大学を卒業、社会人になることとなりました。

2月には中国・四国地方を一周したり、シンガポールで仕事兼旅行が出来たりと、やっぱり自分は旅に生きる人間なんだろうなと気付かされました。

まとめ

本当に長くて申し訳まりませんが、もうこれはプロフィールなので、必要だと思った情報はふんだんに書かせていただきました!

Facebookがなかったら大変なことになっていたなと思います!

次回はコンパクトに!僕の今考える未来像についてお話出来たらなと思います!

Hasta luego!

コメント

  1. […] […]

  2. […] […]

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